中家住宅について

中家住宅表門

 中家住宅の南面する大きな表門(三間薬医門)を入ると、正面に豪快な土間を持つ主屋が妻面をみせて建っています。
 主屋は入母屋造り・茅葺き・妻入りで、周囲に本瓦葺きの庇をめぐらしています。独立性の強い土間は近畿地方でも最大規模のもので寺院の庫裏や武家の台所を思わせます。また、架構形式を持つ土間と柱の省略の多い居室部は中世の雰囲気があります。

中家住宅の土間、板間

 その平面の特質はダイドコロが大きく土間に張り出し、踏込みのあるナンドとザシキまわりは喰違三間取りを骨格とし、その形態は古式な様相をとどめています。この形式は泉南地方や和歌山県紀ノ川筋に分布し、喰違三間取りの平面は田の字型の四間取りに発展します。なお、主屋の建立年代は江戸時代初期と考えられています。

中家住宅平面図

 中家住宅は、現在でも広い敷地を占めますが、江戸時代後期の古図によると、敷地構えは今よりもはるかに大きく、主屋の東側には別棟の式台玄関のつく客殿(書院)がある他、表門の位置も主屋よりずっと手前にありました。

中家住宅の唐門

 また、西面し組物をもつ向唐門(重文)は客殿にいたる賓客用の門として利用されました。他にも長屋門や郷蔵をはじめ付属屋が多く建ち、背後に堀が廻らされるなど、往時の中家の隆盛がしのばれます。

 唐門は、後白河法皇が熊野行幸の際、御車寄せの御門を建ててお迎えしたことに由来し建てられました。

橋本宗吉電気実験の地

町指定文化財 史跡    指定年月日 平成8年3月13日

 

 中家住宅主屋西側には、かつて、周囲5m、樹齢600年といわれる松がありました。
 江戸時代中頃、大坂の蘭学の開祖、橋本宗吉(号を曇斉という。1763~1836)はフランクリンが凧を使って空中電気の正体を確かめた実験(1752年)を中家の協力の元もと、この松を使って電気実験を行いました。

天の火を取りたる図説

 この様子は、宗吉の著書『阿蘭陀始制エレキテル究理原』に挿し絵入りで「泉州熊取谷にて天の火を取りたる図説」として紹介されています。台に立っている人は、高さ19間(約34.5m)の松の枝に取り付けられた桶のようなものから伸びた針金をもっています。雷雲がやってきたとき、空中の電気をうまく捕まえることができた様子は、もう一人の人の指に火花が散っていることでわかります。また、この挿し絵は望遠鏡製作で有名な貝塚の岩橋善兵衛が描いたものです。

  宗吉は蘭書からの翻訳が中心であった江戸時代において、避雷針の発明につながったフランクリンの実験を紹介するだけでなく、自らも実際に試み、その事実を確かめていった態度は、わが国の電気学のパイオニアと呼ぶにふさわしいものがあります。

電気実験の松(昭和8年撮影)
昭和8年当時の電気実験の松の様子
現在の電気実験の地の様子 現在、松は枯れてしまい、撤去せざるをえなくなりましたが、石碑を建てて、その功績をたたえています。
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