広報くまとり 令和7年10月号第893号 3,4,5,6,7ページ ☆特集 『熊取で暮らす』という選択 第7回国勢調査が行われた昭和25年(1950年)、人口が9,463人だった熊取村は、75年の時を経て、約42,000人の町へと発展してきました。 農村型集落から大都市近郊の住宅都市へと変貌していった熊取町。 今回の特集では、昭和中期から令和の現代まで移りゆく時代の中で、どこに魅せられて熊取町を選択したのか、それぞれの時代の移住者に伺いました。 ●時代を超えて、熊取と 昭和38年の京都大学原子炉実験所の設置とともに、翌年には国鉄阪和線『熊取駅』に快速電車が停車するようになり、大阪市内へと通勤がしやすくなった熊取町は、ベッドタウンと して発展してきました。 丘陵地を中心に町内各地で宅地開発が進み、中でも小垣内地区では南海くまとりニュータウンとして大規模な宅地開発が行われました。 その当時は、『仕事は都心、住むのは郊外』というスタイルが流行していたようです。 昭和54年、熊取町への移住を決めた島根県出身の上田夫妻にその決め手と熊取町の魅力について伺いました。 ●熊取をふるさとに 当時は『ニュータウン』という響きがハイカラで、千里、泉北と続いて『くまとりニュータウン』にも発展の可能性を感じていた芳雄さん。 当時、約2万人の町に約8千人の移住者を受け入れるということもあり、新しい町を自分たちでつくっていくんだという希望に満ちていました。 一方、引っ越し当日に初めて熊取町を見た美佐子さんは、広い空き地に新しい家がどんどん建ち並んでいく様子に驚いたそうです。 当時は年齢も地区も関係なく遊んだり、小垣内や七山の地車を曳いたりしていた子どもたちも今では立派な大人になりました。 「自分たちに島根というふるさとがあるように、子どもたちにも熊取をふるさととして残したい」と語ってくれた芳雄さん。 現在では、子どもたちの『ふるさと』のため、ボランティアとして納涼大会やもちつき大会を運営しています。 「楽しんでくれる人がいるからボランティアが活きる。準備は大変やけど、終わってからみんなでお酒を飲みながらやる反省会も楽しい」と嬉しそうに話してくれました。 ●熊取での日々 周りには自分と同じように地方からの移住者が多く、価値観が合うと語ってくれた芳雄さんは、故郷から出る自由さと、自然とゴミを拾ったり側溝の掃除をし たりする責任感を兼ね備えた方が熊取町に集まっているように感じているそうです。そんな芳雄さんは、普段、手品指導やカラオケ、麻雀などをご近所さんと楽しんでいます。 物語を作るのも得意で、紙芝居作りにも熱中しているそう。現在は絵を描いてくれる人を募集中です。 一方、美佐子さんも昔から続けている卓球や社交ダンス、ピアノなどを習いに行くという忙しい毎日を過ごしています。 特に卓球は、週に2回練習し、月に1回試合を行うほど頑張っているそうです。 ●ニュータウン開発と熊取の発展 昭和38年 4月 京都大学原子炉実験所(現京都大学複合原子力科学研究所)設置 昭和39年 10月 国鉄阪和線(現JR阪和線)熊取駅に快速電車が停車      東京オリンピック開催 昭和41年 熊取電報電話局設置        ビートルズ来日 昭和43年 永楽ダム完成 昭和45年 熊取町公民館・町民会館完成      大阪万博開催 昭和47年 大原衛生公苑(し尿処理場)完成 昭和48年 南海くまとりニュータウン開発が始まる      第5保育所(現西保育園)新設      第1回歩こう会開催       第1次オイルショック 昭和50年 西小学校、南小学校開校 昭和51年 清掃工場、斎場完成(現環境センターは平成4年完成)      第6保育所(現アトム共同保育園)新設 昭和52年 人口2万人突破      テレビのカラー放送完全移行 昭和55年 熊取北中学校開校      第7保育所(現北保育所)新設      日本の自動車生産台数が世界一に 昭和56年 北小学校開校、町民グラウンド完成 昭和58年 南海くまとりニュータウン完工(戸数1,900戸、人口7,600人)      人口3万人突破       東京ディズニーランド開園 ●熊取と歩む 子どもと一緒に過ごす日々だからこそ、住む町は大切に選びたい。皆さんはどんなきっかけで熊取町を選んだのでしょう? 現在、熊取町で子育て中のご家族に、そのきっかけと実際に暮らして見えてきた熊取町の魅力を語っていただきました。 ●『ちょうどいい』が揃った町 堀さんファミリーは、堺市出身の真寿さん、八尾市出身の杏朱さん、禾稜くん、羽珠ちゃん。名前の最後に『ず』がつく4人家族。 真寿さんが一目惚れした眺望では、大阪湾が一望でき、花火を見ることができます。 仕事柄、作業音が近所迷惑になっていないか心配になったことから家探しを始めた真寿さん。たまたま三国ヶ丘駅で『つばさが丘』の広告を見て熊取町へ足を運ぶことになりました。 土地の広さを気に入ったところに予想外の海まで見渡せる『眺望』が加わって、「熊取もいいかも」と思い移住を決意したそうです。 ●熊取の魅力 堀ファミリーが子育てをする中で欠かせないのが保育所やつどいの広場『ぷらっつ』。 一時預かりでも顔を覚えてくれていて「禾稜く〜ん!」と声をかけてくれる温かさがありながらも、踏み込みすぎないという心の距離感がちょうど良いそうです。 また、デザイナーである真寿さんにとっては、『オリナスジカン』などの地域密着型のイベントが毎年開催されるところも魅力の一つ。イベントではmhd(マサカズホリデザイン)として出店しながら地域の方と顔を合わせるのが楽しいそうで、同じようなお仕事をされている方には、ぜひオススメしたい町だと語ってくれました。 ●第2の家族に出会う場所 松重さんファミリーは、山口県出身の拓也さん、寝屋川市出身の美穂さん、柊志くん、凛ちゃんの4人家族。 保護猫に新しい家族が見つかるまでの間、一時預かりをして人に慣れてもらうボランティア活動を行っています。今預かっているのは、4代目のトラちゃんとレオンちゃんです。 松重夫妻は就職をきっかけに九州・中国地方を転々とした後、社宅のあった熊取町での生活が始まりました。 2人目の子どもが生まれるのを機に一軒家を探し、近隣よりも綺麗で広い中古物件が圧倒的に多い熊取町に住むことを決めました。 何より、『2人の大学時代から仲良しの友達が生まれ育った町が熊取町だった』というおもしろいエピソードも教えてくれました。 ●熊取のためにできること 拓也さんは、休日にNPO法人グリーンパーク熊取で活動されています。 元々アウトドアが好きだったこともあり、「自分の住む町がもっと楽しい場所になれば」という思いから活動を始めました。 職場の人以外のコミュニティがあることがとても心地よいそうで、グリーンパークのメンバーが今では第2のお父さん・お母さんになりました。 野外活動ふれあい広場で開催したキャンプファイヤーでは、子どもたちと一緒にカレーライスを作ったり、軽音部時代の経験を活かしてギターの弾き語りをしたりと、楽しい夏の思い出作りをお手伝いされたそうです。 以上で3,4,5,6,7ページは終わりです。