広報くまとり 令和8年6月号第901号 特集面 (2,3,4,5ページ) 私たちの住む熊取町は豊かな自然に囲まれ、山は身近な存在です。 日々の暮らしの中で何気なく目にする山は、水を育み、私たちの暮らしを支える生命の源となっています。 熊取町の南端、大字野田周辺に位置する雨山もこうした大切な役割を担いながら、地域の人々に親しまれてきました。  雨山を訪れた方は「熊取町は何もないって言われてるけど、雨山から一望できる景色は、熊取の財産やで」と話してくれます。 山頂から広がる景色は、登りきった達成感とともに、訪れた人の心をやさしく包み込んでくれます。 そして、四季折々の表情を見せるその風景は、もう一度この場所を訪れたいと思わせてくれる特別な魅力があります。  雨山は標高が312メートルの低山で、登山道は歩きやすく、安全に登れるよう整備されているため、登山初心者やファミリーでも登ることができます。 また、雨山神社がある山頂には、休憩所やトイレも設置されるなど、より身近で訪れやすい場所となっています。 しかし、その環境は決して当たり前にあるものではありません。多くの人が安心して登山を楽しめるよう、見えないところで山を守り続ける人たちがいます。  今回の特集では、熊取町の雨山で人知れず登山者の安全を守る人たちの取り組みや想いに触れています。 山の大切さについてあらためて見つめ直すきっかけになれば幸いです。 天然記念物『ヤマモモ』 雨山山頂(標高312メートル)の雨山神社(龍王社)の社前には、高さ約8.5メートル、幹周り約3.8メートル、枝張り約12メートルの大きなヤマモモの木があり、 平成28年4月に『雨山のヤマモモ』として大阪府の天然記念物に指定されました。  山頂にあることで冬の強い季節風を受けやすいためか樹高が低く、前後左右へ枝を大きく広げた姿をしています。 樹齢は不明ですが、山頂には山城跡(土丸・雨山城跡)が残されており、室町時代に火災があった痕跡があることや、 戦国時代も紀州根来寺方の山城であったことなどからすると、その時代にはヤマモモが山頂に存在していたとは考えにくく、 また、江戸時代はおおぎや高田がヤマモモの産地であったことから、おそらく雨山神社との関係で植えられたものではないかと考えられます。  この『雨山のヤマモモ』は雌の木で、5月〜6月にかけて赤い実をつけていましたが、平成30年の台風の後はその実を見ることはできていません。 ヤマモモの『一人の人を愛する』という花言葉は、山頂に根差しているこの大きな1本の『雨山のヤマモモ』に相応しいのではないでしょうか。  山頂では、雨山の瑞々しい空気と関西空港や神戸・淡路島を一望できる景色、そして大きくそびえ立つ『雨山のヤマモモ』が迎えてくれます。 雨山を愛する人々 自然の静けさに包まれた山の中で続けられている小さな営みがあります。  美しい景観と安全な環境を守るため、黙々と山と向き合う人々の活動に、今あらためて光を当てます。  登りやすいよう高さが調整された階段。大雨で土砂崩れにならないように積み上げられた多くの木や木の枝。 川の水が山道に流れてこないように積み重ねられた無数の石。雨山を登るとこうした光景をよく目にします。 山に溶け込んでいるこれらの工夫は、自然にできたものではありません。 世代を問わずみんなが安全に山登りを楽しめるよう人知れず多くの人の手が加えられ、時間と労力がかけられています。  雨山を守る清掃や維持活動に参加している 瀬口 さんは、10年ほど前から雨山に登っています。 健康のために始めた登山でしたが、職業が大工ということもあり、自分が登山しやすいように山道の清掃などをするようになったそうです。 自身のために始めた活動でしたが、今ではたくさんの方が賛同し、みんなで雨山の環境を守っています。 「健康のためはもちろん、雨山に登るといろんな出会いがあって笑顔になるからこれからも登り続けたい」と話してくれました。  多くの方の「山を大切にしたい」という想いが、今の登りやすく親しまれている雨山になっています。  雨山コラム 町南部に位置する標高312メートルの雨山。山頂からは熊取・泉佐野の町並みが眼下に広がり、淡路島を一望できます。 名所旧跡を紹介した江戸時代のガイドブック『和泉名所図会』に、「さいかんに及ぶときは、ここに雨を祈る也」と記され、雨山があまごいの山であったことがわかります。  また、雨山の歴史をひもとくと、南北朝時代、戦略上重要な山城として土丸・雨山城が築かれました。 山頂へ向かう途中には人の手が入ったと考えられる山城の遺構(どばし)が残り、往時を偲ばせます。 (注釈)さいかんとは日照りの年という意味です。 雨山神社 雨山山頂にある雨山神社は江戸時代、『雨山龍王社』と呼ばれ、大森神社、野田神社とともに熊取三社の一つでした。 祭神は水を司る水神『くらおかみのかみ』。写真にある石鳥居は江戸末期に建てられたものです。 (注釈)野田神社は明治41年(1908)、大森神社にごうしされました。 雨山の雨乞い 雨乞いは、雨が少なく日照りが長く続いた時に降雨を祈るために村全体の共同祈願として行われました。 熊取では昔から旱ばつに際し雨山城跡に祭る八大龍王のちんじゅ(雨山神社)に参詣・きとうを行ったとされ、明治初期にはかね・太鼓を鳴らし、 雨山踊りの歌にあわせ踊ったと記録に残っています。 その後、しばらく途絶えていた雨山踊りは昭和9年(1934)に復興したことが新聞記事に掲載されています。 左の写真も当時のものと考えられています。 これからも愛される雨山 昔から人々の願いを受け止め、親しまれてきた雨山。今日もたくさんの方の想いで雨山は守られています。 その想いで山が登りやすくなり登山者が増えました。 世代を超えて想いを引き継ぎ、これからも愛される雨山であることを願っています。 以上で特集面(2,3,4,5ページ)は終わりです。