熊取町内の指定文化財の紹介

 熊取町内に所在している、国指定文化財、大阪府指定、町指定文化財を紹介します。

国指定文化財

来迎寺本堂(らいごうじほんどう)(1棟) 【重要文化財 建造物】

所在地:熊取町和田

指定年月日:昭和24年5月30日

木の柵に囲まれ、屋根の左右の瓦が反りあがっている来迎寺本堂の外観の写真

 鎌倉時代の建築様式を持つ三間四方(約30平方メートル)の小堂です。屋根は丸瓦の端部を細くして一枚ずつずらすように葺きあげる「行基葺」という非常に古い葺き方をしています。堂内は、天井の四隅の梁がエビ虹梁という珍しい建築で、煤気が多く、当初護摩堂ではなかったかと考えられています。

降井家書院(ふるいけしょいん) (1棟) 【重要文化財 建造物】

所在地:熊取町大久保

指定年月日:昭和27年3月29日

附:屋敷図(1帖)

庭園に大きな樹木や灯篭、飛び石のある茅葺屋根の降井家書院建物外観の写真

 降井家は江戸時代、岸和田藩の七人庄屋をつとめた旧家で、書院は地方の庄屋の邸宅に付属する好例とみなされ、昭和27年(1952)、国の重要文化財になりました。八畳の上段の間と十二畳の次の間からなり、江戸時代初期の建築と考えられています。数寄屋風をたぶんに加味した造りは、熊取の庄屋の生活の一端をうかがうことができます。

注意

降井家書院につきましては、普段は非公開となっています。
なお、見学につきましては、毎年11月初旬の土曜日、日曜日の午前中のみ、特別公開する予定となっています。詳細につきましては、別途ご案内いたします。

中家住宅(なかけじゅうたく)(1棟) 【重要文化財 建造物】

所在地:熊取町五門

指定年月日:昭和39年5月29日

附:表門(1棟)、唐門(1棟)

入母屋造りに三角屋根が茅葺きで造られた中家住宅建物外観の写真

 江戸時代、岸和田藩の七人庄屋をつとめた中家の主屋は、入母屋造り、茅葺き、妻入りの建物で、江戸時代初期の建築とされ、とくに独立性の強い土間は、寺院の庫裏や武家の台所を思わせます。また、間取りは泉南地方や紀ノ川筋に特徴的にみられる喰違三間取りです。

 なお、江戸時代の古図によると、主屋のほかに客殿や長屋門などがあり、背後に堀がめぐらされていました。

日根荘遺跡(ひねのしょういせき) 土丸・雨山城跡(つちまる・あめやまじょうあと) 【史跡】

所在地:熊取町大字野田

指定年月日:平成25年10月17日

青池から望む、土丸・雨山城跡がある山並みの写真

 熊取町大字野田の雨山の山頂には、本丸跡・千畳敷・月見亭と呼ばれる平坦地や井戸があり、室町時代(南北朝時代を含む)に橋本正高(はしもとまさたか)などの武将が、紀州と和泉を結ぶ粉河街道の要衝に位置するこの場所を選んで山城を築いたと伝わることから、平成8年に町史跡「雨山城跡」に指定しました。

 しかし、近年行った調査で、泉佐野市の城の山(じょうのやま)山頂の土丸城跡(つちまるじょうあと)とを結ぶ広範囲に、多くの遺構や土器・瓦がみつかり、二つの山城が一つの巨大な山城であったことが判明したため、この山城の名称を両城からとって、土丸・雨山城跡(つちまる・あめやまじょうあと)に統一し、泉佐野市に存在した九条家(くじょうけ)の荘園日根荘(ひねのしょう)をはじめとする周囲一円を抑えていたと考えられることから、平成25年10月17日、国史跡日根荘遺跡(ひねのしょういせき)に追加指定されました。

 土丸・雨山城跡の山頂部には階段状に削られた曲輪(くるわ)と呼ばれる遺構が残り、南北朝時代の土器や瓦なども散見されることから、南北朝時代の特徴を残す山城と言えますが、戦国時代には、この付近一帯を支配した根来寺の勢力が整備を行い、その際に武者隠し(むしゃかくし)や、堀切(ほりきり)などを設けて、現在の状態になっているものと考えられます。

大阪府指定文化財

雨山(あめやま) のヤマモモ【天然記念物】

所在地:熊取町大字野田(雨山山頂)

指定年月日:平成28年4月5日

木の周囲を柵で囲んだ大きなヤマモモの木の写真

熊取町大字野田の雨山(標高312メートル)の山頂には、平成25年10月17日に国史跡日根荘遺跡に追加指定された室町時代の山城「土丸・雨山城跡」があります。その最高地点には現在雨山神社(雨山龍王社)が鎮座しており、その社前には樹高8.5メートル、幹周り3.8メートル、枝張12メートルを測るひときわ大きなヤマモモがあります。

山頂にあって冬の強い季節風の影響を受けるために樹高が低いものの、高地でありながらこれだけの大きさがあることが珍しく、また、巨大な山城が築かれた雨山の中央部にある古木であることなどが評価され、平成28年4月5日に大阪府の天然記念物(植物)の指定を受けました。

このヤマモモの樹は雌木で、4月頃に開花し、5月から6月にかけて赤い実をつけます。

樹齢については現在のところ不明ですが、江戸時代の地誌『和泉志』の日根郡の部に、泉佐野の大木・土丸や熊取の高田付近にヤマモモが自生していたことが記されています。

町指定文化財

東円寺跡出土軒丸瓦(とうえんじあとしゅつどのきまるかわら)及(およ)び軒平瓦(のきひらがわら)(一括) 【有形文化財 考古資料】

管理者:熊取町教育委員会

指定年月日:平成8年3月13日

東円寺跡跡に出土された外側は白っぽく、中は黒色の4つの軒丸瓦と軒平瓦の写真

 熊取町役場の南側の「トヨジ」「大門」などの小字名が残る水田では、古くから瓦が出土しており、寺院が存在していたことが知られています。 出土した蓮華文軒丸瓦と唐草文軒平瓦の文様は平安時代末期頃のこの寺院固有のもので、大変貴重です。

熊取神踊り(くまとりこおどり)(雨山踊り(あめやまおどり))用具(ようぐ)(締太鼓3口)【有形民俗文化財】

管理者:熊取町教育委員会

指定年月日:平成8年3月13日(平成20年4月7日1口追加)

附:神踊目録(1冊)、野田村神踊記(2冊)、神踊音頭歌本(1冊)、御神踊(1冊)、乾板写真(2枚)

雨山踊りで使用される締太鼓の写真

 熊取の神踊りは、和泉地域に広く分布した「太鼓踊り」の一種で雨乞いの踊りです。
 その一つに「雨山踊り」があり、現在締太鼓(明治6年)と、歌本(江戸末期のものを含む)が残っており、熊取独自の貴重な民俗文化財です。

伊勢型紙(いせかたがみ)(268点) 【有形民俗文化財】

管理者:熊取町教育委員会

指定年月日:平成8年3月13日

格子模様の伊勢型紙の写真

 三重県鈴鹿市白子・寺家の型紙師によって生産された染色用の型紙で、江戸時代に全国にひろがっていきました。町指定の型紙は、大宮の個人から寄贈されたもので、本町に「紺屋」(染物屋)が存在していたことがわかる貴重な資料です。

雨山(あめやま) 【名勝】

所在地:熊取町野田

指定年月日:平成8年3月13日

附:雨山城碑(あめやまじょうひ)1基、雨山町石(あめやまちょういし)6基、乾板写真(かんぱんしゃしん)2枚、雨山城碑拓本(あめやまじょうひたくほん)1幅

池から望んだ雨山の山並みを昭和9年に撮影した白黒写真

 標高312メートル、山頂には雨山神社が鎮座し、古くから雨乞いの山として信仰を集める熊取の象徴的な山です。旱魃時には村人が雨乞いのために登りました。現在でも9月1日、雨山の麓の成合地区が「八朔」という行事を行っています。

橋本宗吉電気実験(はしもとそうきちでんきじっけん)の地 【史跡】

所在地:熊取町五門

指定年月日:平成8年3月13日

附:乾板写真(1枚)

家屋の隣に生い茂る、昭和8年に撮影された電気実験に使われた松の白黒写真

 江戸時代中頃、蘭学者橋本宗吉と中家当主が中家住宅邸内の松を使って電気誘導の実験を行いました。この実験は、宗吉の著書『阿蘭陀始制エレキテル究理原』に「泉州熊取谷にて天の火をとりたる図説」として紹介され、わが国の電気学の発展に大きく寄与しました。

降井家(ふるいけ)のくろがねもち(1本) 【天然記念物】

所在地:熊取町大久保

指定年月日:平成8年3月13日

 中盛彬が著した『先代考拠略』に延享2年(1745年)、「もちの木」が存在していたことが記されています。年代がわかる個人所有の樹木としては貴重なものです。

注意

 降井家のくろがねもちにつきましては、個人宅敷地内に所在するため、普段は非公開となっています。
 なお、見学につきましては、毎年11月初旬の土曜日、日曜日の午前中のみ、特別公開する予定となっています。詳細につきましては、別途ご案内いたします。

石造地蔵菩薩立像(せきぞうじぞうぼさつりゅうぞう)(1体) 【有形文化財 彫刻】

所在地:熊取町五月が丘

指定年月日:平成9年3月5日

附:乾板写真(2枚)

昭和8年に撮影された、お地蔵様の上と左右に文字が書かれている石造地蔵菩薩立像の白黒写真

 建武4年(1337)につくられた本町で一番古い和泉砂岩製の石仏です。堺市善龍寺にある建武2年(1335)の地蔵菩薩立像(府規則指定重要美術品)と像容が酷似し、同一工人の作と考えられています。

大久保(おおくぼ)E遺跡出土土器(いせきしゅつどどき)(一括) 【有形文化財 考古資料】

管理者:熊取町教育委員会

指定年月日:平成11年2月3日

大久保E遺跡から出土された、様々な形の土器の写真

 大久保E遺跡は、熊取駅前土地区画整理事業に伴って発見され、発掘調査では古墳時代初頭頃と考えられる数千点の土器片が出土しました。人々が集団で生活したことを示す本町最古の資料で、貴重であり残存状態の良い土器を中心に161点を指定しました。

旧中林綿布工場 汽罐室(きゅうなかばやしめんぷこうじょうきかんしつ)・受電室・事務所棟(3棟) 【有形文化財 建造物】

所在地:熊取町紺屋、五門

指定年月日:平成15年3月3日

附:ランカシャーボイラー(1基)、広幅綿織機(1機)、乾板写真(3枚)

昭和初期に撮影された、機械や材料が置いてある操業当時の工場内部の白黒写真

 昭和3年(1928年)に建てられた煉瓦造の綿布工場(現在の煉瓦館)です。最新鋭の織機を導入するなど泉州の機業界を牽引してきた工場といえ、昔の名残を残す汽かん室・受電室・事務所棟が町文化財です。平成19年には、経済産業省の「近代化産業遺産」にも認定されました。

小谷(おだに)の文政(ぶんせい)おかげ灯籠(とうろう)

所在地:熊取町小谷

指定年月日:平成19年2月28日

敷地内の一角に立つ、おかげ灯籠の写真

 大阪府下で一番南に位置する文政13年(1830年)のおかげ灯籠で、泉州地域の伊勢信仰を知るうえで貴重な文化財です。江戸時代の伊勢神宮への民衆の集団参拝を「おかげ参り」といい、それを記念して建てられました。

熊取村誌関係資料(くまとりそんしかんけいしりょう)【有形文化財 歴史資料】

管理者:熊取町教育委員会

指定年月日:令和5年2月10日

指定物件:熊取郷土調査 基本編(1冊)、乾板写真(1式)、熊取村志(1冊)、郷土調査資料(1冊)

熊取村誌関係資料の写真

熊取村誌は、昭和初期に熊取尋常高等小学校の教員らが中心となり村内の史資料の調査、収集、編纂を行い、昭和11年(1936)に刊行されました。成果物としての『熊取郷土調査 基本編』には郷土の歴史、自然をはじめ産業や村の生活などきわめて幅広く、また当時の熊取の風景などの写真も多く掲載されています。

その他、この成果物を抜粋・編集した『熊取村志』、これらの稿本とみられる「郷土調査資料」が残されており、当時の熊取の史資料地誌を収集記録し、産業や社会生活の実態をも示す貴重な資料といえます。

旧熊取村道路元標(きゅうくまとりむらどうろげんぴょう)【史跡】

所在地:熊取町野田

指定年月日:令和5年2月10日

旧熊取村道路元標の写真

道路元標は道路の起点、終点を示す道路の附属物で、大正8年(1919)公布の旧道路法に規定され、各市町村に1箇所、設置されました。現行道路法にも規定は残るものの設置の義務はなく、その多くが撤去されています。

旧熊取村の道路元標は、当時の熊取村役場前の府道水間佐野線(現国道170号)に昭和4年(1929)11月に設置されたものです。

 

 

下の地図情報では、中家住宅の位置を表示しています。

地図情報

この記事に関するお問い合わせ先

生涯学習推進課(文化振興グループ)

電話:072-453-0391
ファックス:072-453-0878
〒590-0415
大阪府泉南郡熊取町五門西1丁目10番1号(すまいるズ  煉瓦館内)

メールフォームでのお問い合わせ