くまとりの伝説・昔話

大力「真瀬」の話 その四

 大木村の大力男・真瀬が、夜中におならを一発かました。寝る間にはったい粉をたらふく食べていたため、おならに乗って隣村まで粉が飛んでいった。隣村が朝、真っ白だったので、「朝代」という地名がついたそうだ。 

七里地蔵縁起

 七山の住人が旅の帰り、播州神戸でお地蔵様を拾って持って帰って祀った。播州神戸から七山まで、お地蔵様の移動した距離が七里ということで、七里地蔵と名付けら、様々なご利益があった。明治維新後、廃仏毀釈で仏様を軽んじるようになり、七里地蔵もないがしろにしたところ、七山の子ども七人が不幸になったので、村の七人頭がお詫びし再び祀った。 

源兵衛と狐の話

 大工の棟梁源兵衛が熊取村小垣内の旦那の酒蔵を建てたら、お祝いにご馳走を振る舞ってもらった。嫁子どもにと家に持って帰る山道で、狐に「その包み置いていけ」と言われたが、今度代わりに「油揚げ」のご馳走を持ってくるからと、見逃してもらった。明朝、源兵衛が小垣内の旦那のところへ向かう途中、約束を果たした。

参考文献
『泉さの界隈の昔話』(佐藤 憲能/著,泉佐野ライオンズクラブ,1993) 

成合寺の愚白和尚

 成合寺を開いた愚白和尚が、ある日、村人に「能登の総持寺に火事が出たので、庭石に水をかけてくれ」とせかした。村人たちが水をどんどん石にかけると「しゅうっ、しゅうっ」としみこんでいった。幾月か後、能登の総持寺からどっさりお礼が届いた。

参考文献
『大阪の伝説』(大阪府小学校国語科教育研究会/編,日本標準,1980)

むさし坊弁慶の岩の付記

与一坂:七山病院の病棟が建ち並ぶ傍らの坂

那須与一の城跡:坂の丘の上に城があった

休み場:貝塚市と接した七山の入り口で、与一が休憩したから起こった地名で、ここの路傍の石地蔵を別名「与一地蔵」ともいう。

参考文献
『泉州の民話 第11集』(三田 弘/著,泉南歴史民俗資料センター,2014)

不思議な油徳利

 七山村の百姓の家に、油の湧き出るという不思議な徳利があったそうで、村人たちは夜なべすることができた。 

参考文献
『泉州の民話 第5集』(三田 弘/著,泉南歴史民俗資料センター,2010)

美しい女の夜這い

 七山村で、村人が夜道を歩いていると、きれいな女がいそいそした足どりででかける姿に出くわした。その女は、那須与一が城を築いたと言われる与一山の坂道に向かい、ひとりの男と会っていた。女は美蛇池の主の化身で、濁池の主の元へ通っていたのだった。 

参考文献
『泉州の民話 第7集』(三田 弘/著,泉南歴史民俗資料センター,2011)  

戸閉祭り

 中家出身の小平次は、泉南市馬場の地主の元へ養子に入る。干ばつに苦しむ農民のために、藩の米倉を破り、その責任を一人でかぶり処刑となる。その日は秋祭りの日であったが、どの家も小平次の処刑を悲しみ、戸を閉ざしたままであった。

命びろい

 天正八年(1580年)大坂石山本願寺との戦いで、織田信長が出した和睦の条件のひとつが、顕如上人を差し出せというものだった。石山本願寺側は顕如上人を逃がし、泉州佐野村に辿り着く。村の人々は竹藪の中に深い穴を掘り、中へかくまった。信長の軍勢が迫ってきたが、顕如を探し出すことはできなかった。その竹藪は泉佐野市と熊取町の境辺りと考えられている。

土丸城裏話

 南朝方の土丸城主の橋本正高は、北朝方の山名氏勢に攻め落とされる直前に、蓄えていた軍資金を隠すことを軍師金山文左衛門に相談したところ、「雨山の頂きから東方を望めば、辰の月の第一の辰の日の辰の刻太陽が架かる松がある。その根元へ埋めるのがよろしかろう」と言った。文左衛門は、誠の謀のため、村の若者と共に雨山を通り越し、佐野村の海岸の木の根元に埋めた。その後攻め込まれ全員死に絶えたため、軍資金の行方はわからずじまいである。 

参考文献
 『泉州むかし話 第1集』(阿形 賢一/著,泉州文芸同好会,1991) 

ゆきりの祖

 小平次の甥にあたる利左衛門は、医師として村人の健康を守っていた。そして岸和田藩主の難病を治し、褒美は水利に恵まれない農村地域のために水利権が欲しいと申し出た。おかげで百姓たちは安心して米を作れるようになった。

参考文献
『泉州むかし話 第2集』(阿形 賢一/著,泉州文芸同好会,1991)

熊取の由来

 大昔、和泉国で大熊・小熊という盗賊の親子がいた。多くの手下を抱え、毎晩村里を襲っていた。ある大将が盗賊を退治するよう命じられ、兵糧攻めで大熊は餓死する。小熊は南の方へ逃げ、捕らえられた地域を「熊取」というようになった。

寒旋業

 熊取地方に伝わる「寒旋業」とは、冬になると餌に困っている動物たちに食べ物を施す行事のこと。昔、甚兵衛という里のまとめ役が、狐や狸に鶏小屋を襲われ、退治しようとする若者たちと話し合い、冬の間各家が月に一日だけ動物たちの通りそうな場所に置くことにした。おかげで、二度と熊取の人々に迷惑を掛けなくなった。

根来の大納言房

 戦国時代、中家の三男重盛は根来の僧兵になって大活躍した。関ヶ原の合戦や大坂の陣では徳川家の家臣として奮戦し、のちに徳川家の旗本になる。その後、和泉の代官となり、八十四歳で世を去った。

参考文献
『泉州むかし話 第3集』(阿形 賢一/著,泉州文芸同好会,1991)

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