くまとりの歴史・文化財

伊勢型紙(いせかたがみ)【町指定文化財】

 伊勢型紙とは、三重県鈴鹿市の型紙師によって作られた、染織用の型紙で、室町時代末期には存在していたようです。
 熊取と伊勢型紙の関係は、江戸時代の『岸和田当地往来』(当時の教科書)に「熊取紺屋」という記述があり、伊勢型紙を利用した藍染めが行われていたと考えられます。
 江戸時代から明治時代の初めまで営んでいた紺屋(染め物屋)から300点近い伊勢型紙をいただきました。これらは庶民の着物などを染める際に使われたと考えられます。
このうち保存状態の良い268点が町指定文化財に指定されています。

寄贈された伊勢型紙の白黒写真

参考文献
『町指定文化財』(平成8年3月 熊取町教育委員会)

大久保E遺跡出土土器(おおくぼいーいせきしゅつどどき)【町指定文化財】

 大久保E遺跡は、JR熊取駅の南東部に位置する古墳時代初頭の遺跡です。平成元年から3年に行った発掘調査で数千点におよぶ土器片が出土しました。これらの土器は日常的に使用したものであることから、人々が集団で生活していたことを示すものであり、本町で最も古い資料となります。
 残存状態の良い161点(甕(かめ)64点、壷(つぼ)36点、高坏(たかつき)31点、器台(きだい)6点、製塩土器(せいえんんどき)4点、蛸壷形土器(たこつぼがたどき)4点、鉢(はち)12点、甑(こしき)2点、その他2点が、町指定文化財に指定されています。

赤い布の上に置かれた、保存状態の良い白や青く色のついた、たくさんの甕や壺や高坏などの写真

参考文献
『町指定文化財』(平成11年3月 熊取町教育委員会)
『大久保E遺跡発掘調査概要報告書・1』(平成9年3月 熊取町教育委員会) 1はローマ数字

東円寺跡出土瓦(とうえんじあとしゅつどかわら)【町指定文化財】

 現在の熊取町役場、公民館の南側付近には、平安時代末期に建てられた東円寺、または東曜寺と呼ばれる寺院があったといわれ、天正の秀吉の根来攻めのころに焼失したといわれています。
 この東円寺があったとされる場所で、平成元年に発掘調査を行ったところ、東円寺創建期、平安末期の蓮華文(れんげもん)軒丸瓦(のきまるかわら)、唐草文(からくさもん)軒平瓦(のきひらかわら)が出土しました。泉南地域の古代から中世期の地方寺院の特徴を表しており、状態の良好な4点は熊取町の指定文化財に指定されています。

一部欠けている蓮華文軒丸瓦と唐草文軒平瓦、合計4点が並べられた白黒の写真

参考文献
『町指定文化財』(平成8年3月 熊取町教育委員会発行)

土丸・雨山城(つちまる・あめやまじょう)【国指定史跡】

 熊取町南部の雨山(標高312メートル)と泉佐野市の城ノ山にまたがって所在した、南北朝時代から戦国時代の山城です。
 紀州と泉州を結ぶ粉河街道を押さえる位置に立地することから、戦略上重要な城で、いくとどなく争奪戦が繰りひろげられました。
 発掘調査では、尾根沿いを中心に、曲輪や堀切などの遺構や14~16世紀の土器が発見され、平成25年10月17日に日根荘遺跡の16番目の地点として、国の史跡に指定されました。

青空の中、白い雲と永楽ダムの水面に映った土丸・雨山城のカラー写真

現在

青池の湖畔に映し出された、土丸・雨山城の白黒写真

昭和9年

参考文献
『土丸・雨山城跡-日根荘遺跡関連調査報告書-』(平成24年3月 泉佐野市教育委員会・熊取町教育委員会)
『史跡 日根荘遺跡保存活用計画書』(平成30年3月 泉佐野市教育委員会・熊取町教育委員会)
『熊取の歴史』(昭和61年11月 熊取町教育委員会)

建武地蔵(石造地蔵菩薩立像)(けんむじぞう(せきぞうじぞうぼさつりゅうぞう))【町指定文化財】

 建武4年(1337)に製作された、熊取町内で最も古い、砂岩製の石仏で、もとは正福寺(廃寺)のもといわれています。
 文化財としての名称は、石造地蔵菩薩立像と登録されていますが、建武年間に製作されたことから、通称「建武地蔵」と呼ばれています。
 光背の銘文には「建武四丁丑十一月日」、「熊取庄阿闍梨■方」と彫られています。
(熊取庄阿闍梨■方の「梨」と「方」の間、■の部分は劣化しており読み取れない部分です)

石造地蔵菩薩立像の白黒写真

昭和8年撮影

手前には石灯籠が左右に3基並び、少し奥に木々に囲まれた中央に石造地蔵菩薩立像が保管されていた正福寺の白黒写真

参考文献
『指定文化財』(平成9年3月 熊取町教育委員会)

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