国指定重要文化財

 熊取には、平安時代初期に桓武天皇が熊取野で遊猟されたとして「日本後紀」にすでにその名が記されているほど、熊取は長い歴史を誇るまちです。いまも嘉暦4年(1329年)に建立された「来迎寺本堂」、江戸時代の豪族の邸宅の構を示す貴重な「降井家書院」、同じく江戸時代に豪農として栄えた桃山時代の様式を残す「中家住宅」など3棟の国指定重要文化財 が現存します。

中家住宅

  • 所在地:五門
  • 種別:建造物
  • 指定年月日:昭和39年(1964年)5月29日
屋根がかやぶきと瓦に分かれており、かやぶき屋根の部分に家紋が掲げられている、中家住宅の写真

 中家住宅の南面する大きな表門(三間薬医門)を入ると、正面に豪快な土間をもつ主屋が妻面をみせて建っています。
 主屋は入母屋造り、茅葺き・妻入りで、周囲に本瓦葺の庇をめぐらしています。独立性の強い土間は近畿地方でも最大規模のもので寺院の庫裏や武家の台所を思わせます。
 また、架構形式をもつ土間と柱の省略の多い居室部は中世の雰囲気があります。その平面の特質はダイドコロが大きく土間に張り出し、踏込みのあるナンドとザシキまわりは喰違三間取りを骨格とし、その形態は古式な様相をとどめています。この形式は泉南地方や和歌山県紀ノ川筋に分布し、喰違三間取りの平面は田の字型の四間取りに発展します。
 なお、主屋の建立年代は江戸時代初期と考えられています。
中家住宅は、現在でも広い敷地を占めますが、江戸時代後期の古図によると、屋敷構えは今よりもはるかに大きく、主屋の東側には別棟の式台玄関のつく客殿(書院)がある他、表面の位置も主屋よりずっと手前にありました。  
 また、西面し組物をもつ向唐門(重文)は客殿にいたる賓客用の門として利用されました。他にも長屋門や郷蔵をはじめ付属屋が多く建ち、背後に堀が廻らされるなど、往時の中家の隆盛がしのばれます。

降井家書院

  • 所在地:大久保
  • 種別:建造物
  • 指定年月日:昭和27年(1952年)3月29日
手入れされた植木に周囲を囲まれ、家の前に石灯籠が立っている、かやぶき屋根の降井家書院の写真

 降井家は、中家と共に当地方の豪族であったと伝えられ、当家所蔵の天保6年(1835年)作成屋敷図によれば、2500余坪の敷地に台所、広間、書院、土蔵、厩等厖大な邸宅を構え、射場、馬場まで備えていました。台所、広間等は縮小したものに建て替えられ、書院も元広間に接続していたようですが、広間と切放して今の所に移されました。
 その他の建物では、後に出来た表門と鎮守を残すだけです。書院は江戸時代初期頃の建立にかかるものと認められ、その後、柱、縁廻り等相当大きな修理を受けています。
 建物は8帖の上段の間と12帖の次の間で、その三方に畳敷の入側があって、更にその外側と背面に縁側があります。この内、上段の間は、最もよく残っています。上段の間は8帖で、床、棚、書院を備え、次の間との境に、彫抜欄間をはめ、内法長押、天井長押を設け、次の間は12帖で面皮柱を用い、入側との間の鴨居上の窓を竹格子とするなど、数寄屋風を多分に加味した書院造りです。
 また、上段の間の床、違棚の張付絵、間仕切襖及び障子等も当初のものと認められるものです。濡縁を縁側に改めたと認められる他は、大体、当初の規模を伝えているので、江戸時代豪族の生活の一端を窺うに足りる書院造りの標本です。
 なお、天保6年(1835年)に作成された屋敷図は、江戸時代豪族邸宅の構えを示す一例として本書院と共に重要な資料です。
 建立以来、その後の修理は明らかではありません。昭和30年(1955年)の屋根葺替修理の際に文政13年(1830年)明治2年(1869年)同17年(1884年)同41年(1908年)の屋根葺棟札が発見されました。明治末年に主屋を改築した際に現在の位置に移動し、一部を改造しました。

来迎寺本堂

  • 所在地:和田
  • 種別:建造物
  • 指定年月日:昭和24年(1949年)5月30日
周囲を柵で囲まれ、左右に看板が立ち、その奥に建っている来迎寺本堂の写真来迎寺本堂の写真

 この寺の草創は明らかではありませんが、寺伝によればもと天台宗であったものが、のち真言宗となり、元禄2年(1689年)には曹洞宗梅渓寺の末寺にになったといわれています。
 本堂は、嘉暦4年(1329年)正月、沙弥随善、沙弥妙法、完平四郎、宗三郎行貞、紀光女等が建立したと伝えられています。
 もと雨山城にあって橋本正高が八大龍王殿と称し、朝夕武運長久、繁栄安泰の祈願堂としたものともいわれており、後年になって現在の位置に移したとの説もありますが明かではありません。
本堂は、鎌倉時代の様式をよく備え、三間四方(約30平方メートル)の小堂で、屋根は寄棟造、行基葺、基壇はなく野面石上に柱を建て、三方に濡縁を設けています。内部は中央奥寄に四天柱を建て、正面に格狭間のついた漆塗りの須弥壇を設け、主要部は丹塗りです。また、正面中の間に戸口、背面に半間の出入口があって他は塗壁で一本のたる木が軒先から内部まで通り、天井の四隅の梁がエビ虹梁という珍しい建築です。内部は煤気が多く、燻った状態からこの本堂は当初護摩堂ではなかったかと推定されます。
 昭和24年(1949年)国の重要文化財に指定され、昭和34年(1959年)9月から約1年間をかけ解体修理が行われました。

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