町指定文化財

東円寺跡出土軒丸瓦及び軒平瓦(とうえんじあとしゅつどのきまるかわら および のきひらかわら)(一括) 【有形文化財 考古資料】

管理者:熊取町教育委員会

指定年月日:平成8年3月13日

石で出来たお皿の様な形の蓮華文軒丸瓦と唐草文軒平瓦4個がモノクロで写っている写真

 熊取町役場の南側の「トヨジ」「大門」などの小字名が残る水田では、古くから瓦が出土しており、寺院が存在していたことが知られています。 出土した蓮華文軒丸瓦と唐草文軒平瓦の文様は平安時代末期頃のこの寺院固有のもので、大変貴重です。

熊取神踊り(雨山踊用具)(くまとりこおどり(あめやまおどりようぐ))(締太鼓 3口) 【有形民俗文化財】

管理者:熊取町教育委員会

指定年月日:平成8年3月13日(平成20年4月7日1口追加)

附:神踊目録(1冊)、野田村神踊記(2冊)、神踊音頭歌本(1冊)、御神踊(1冊)、乾板写真(2枚)

上から下へ紐が通されている木製の年季の入った太鼓が写っている写真

 熊取の神踊りは、和泉地域に広く分布した「太鼓踊り」の一種で雨乞いの踊りです。
 その一つに「雨山踊り」があり、現在締太鼓(明治6年)と、歌本(江戸末期のものを含む)が残っており、熊取独自の貴重な民俗文化財です。

伊勢型紙(いせかたがみ)(268点) 【有形民俗文化財】

管理者:熊取町教育委員会

指定年月日:平成8年3月13日

花の様な形の規則的に並んだ模様が入った伊勢型紙の写真

 三重県鈴鹿市白子・寺家の型紙師によって生産された染色用の型紙で、江戸時代に全国にひろがっていきました。町指定の型紙は、大宮の個人から寄贈されたもので、本町に「紺屋」(染物屋)が存在していたことがわかる貴重な資料です。

雨山城跡(あめやまじょうあと)【史跡】

所在地:熊取町野田

指定年月日:平成8年3月13日

附:雨山町石(4基)、雨山城碑(1基)、乾板写真(1枚)

 雨山城は、南北朝時代、泉佐野市の土丸城とともに、北朝方と南朝方が争奪戦をくりひろげた要城で、南朝方の橋本正高が居城としたことで知られています。
 江戸時代、熊取の庄屋をつとめた中盛彬が著した『先代考拠略』には、月見亭、千畳敷といった記述がみられ、本町に残る数少ない中世の山城です。

雨山(あめやま) 【名勝】

所在地:熊取町野田

指定年月日:平成8年3月13日

附:乾板写真(1枚)

奥には雨山があり、手前の湖にも雨山の様子が水面に映っているモノクロの風景写真

 標高312メートル、山頂には雨山神社が鎮座し、古くから雨乞いの山として信仰を集める熊取の象徴的な山です。旱魃時には村人が雨乞いのために登りました。現在でも9月1日、雨山の麓の成合地区が「八朔」という行事を行っています。

橋本宗吉電気実験の地(はしもとそうきちでんきじっけんのち)【史跡】

所在地:熊取町五門

指定年月日:平成8年3月13日

附:乾板写真(1枚)

一本の高く伸びた松の木と手前に家の屋根が写っているモノクロの写真

 江戸時代中頃、蘭学者橋本宗吉と中家当主が中家住宅邸内の松を使って電気誘導の実験を行いました。この実験は、宗吉の著書『阿蘭陀始制エレキテル究理原』に「泉州熊取谷にて天の火をとりたる図説」として紹介され、わが国の電気学の発展に大きく寄与しました。

降井家のくろがねもち(ふるいけのくろがねもち)(1本)【天然記念物】

所在地:熊取町大久保

指定年月日:平成8年3月13日

 中盛彬が著した『先代考拠略』に延享2年(1745年)、「もちの木」が存在していたことが記されています。年代がわかる個人所有の樹木としては貴重なものです。

注意

 降井家のくろがねもちにつきましては、個人宅敷地内に所在するため、普段は非公開となっています。
 なお、見学につきましては、毎年11月初旬の土曜日、日曜日の午前中のみ、特別公開する予定となっています。詳細につきましては、別途ご案内いたします。

石造地蔵菩薩立像(せきぞうじぞうぼさつりゅうぞう)(1体)【有形文化財 彫刻】

所在地:熊取町五月が丘

指定年月日:平成9年3月5日

附:乾板写真(2枚)

石に仏様のような人の形が彫られている石像がモノクロで写っている写真

 建武4年(1337)につくられた本町で一番古い和泉砂岩製の石仏です。堺市善龍寺にある建武2年(1335)の地蔵菩薩立像(府規則指定重要美術品)と像容が酷似し、同一工人の作と考えられています。

大久保E遺跡出土土器(おおくぼいーいせきしゅつどどき)(一括) 【有形文化財 考古資料】

管理者:熊取町教育委員会

指定年月日:平成11年2月3日

赤い敷物の上に沢山のお皿や花瓶の形をした土器が写っている写真

 大久保E遺跡は、熊取駅前土地区画整理事業に伴って発見され、発掘調査では古墳時代初頭頃と考えられる数千点の土器片が出土しました。人々が集団で生活したことを示す本町最古の資料で、貴重であり残存状態の良い土器を中心に161点を指定しました。

旧中林綿布工場(きゅうなかばやしめんぷこうじょう)【有形文化財 建造物】

所在地:熊取町紺屋、五門

指定年月日:平成15年3月3日

指定物件: 汽罐室(きかんしつ)・受電室(じゅでんしつ)・事務所棟(じむしょとう)(3棟)

附:ランカシャーボイラー(1基)、広幅綿織機(1機)、乾板写真(3枚)

機械や荷物などが置かれている綿布工場内のモノクロ写真

 昭和3年(1928年)に建てられた煉瓦造の綿布工場(現在の煉瓦館)です。最新鋭の織機を導入するなど泉州の機業界を牽引してきた工場といえ、昔の名残を残す汽かん室・受電室・事務所棟が町文化財です。平成19年には、経済産業省の「近代化産業遺産」にも認定されました。

小谷の文政おかげ灯籠(おだにのぶんせいおかげどうろう)(1基) 【有形民俗文化財】

所在地:熊取町小谷

指定年月日:平成19年2月28日

奥には緑の葉っぱが茂っている木、手前には石で造られた灯籠が写っている写真

 大阪府下で一番南に位置する文政13年(1830年)のおかげ灯籠で、泉州地域の伊勢信仰を知るうえで貴重な文化財です。江戸時代の伊勢神宮への民衆の集団参拝を「おかげ参り」といい、それを記念して建てられました。

熊取村誌関係資料(くまとりそんしかんけいしりょう)【有形文化財 歴史資料】

管理者:熊取町教育委員会

指定年月日:令和5年2月10日

指定物件:熊取郷土調査 基本編(1冊)、乾板写真(1式)、熊取村志(1冊)、郷土調査資料(1冊)

熊取村誌関係資料の写真

熊取村誌は、昭和初期に熊取尋常高等小学校の教員らが中心となり村内の史資料の調査、収集、編纂を行い、昭和11年(1936)に刊行されました。成果物としての『熊取郷土調査 基本編』には郷土の歴史、自然をはじめ産業や村の生活などきわめて幅広く、また当時の熊取の風景などの写真も多く掲載されています。

その他、この成果物を抜粋・編集した『熊取村志』、これらの稿本とみられる「郷土調査資料」が残されており、当時の熊取の史資料地誌を収集記録し、産業や社会生活の実態をも示す貴重な資料といえます。

旧熊取村道路元標(きゅうくまとりむらどうろげんぴょう)(1基)【史跡】

所在地:熊取町野田1丁目2183番1

所有者:熊取町

旧熊取村道路元標の写真

道路元標は道路の起点、終点を示す道路の附属物で、大正8年(1919)公布の旧道路法に規定され、各市町村に1箇所、設置されました。現行道路法にも規定は残るものの設置の義務はなく、その多くが撤去されています。

旧熊取村の道路元標は、当時の熊取村役場前の府道水間佐野線(現国道170号)に昭和4年(1929)11月に設置されたものです。

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生涯学習推進課(文化振興グループ)

電話:072-453-0391
ファックス:072-453-0878
〒590-0415
大阪府泉南郡熊取町五門西1丁目10番1号(すまいるズ  煉瓦館内)

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