だんじり祭

 だんじり祭りは長い歴史をもつ行事であり、五穀豊穣を祈願し、豊作に感謝する秋の祭礼です。
 祭りは10月の2日間にわたって催され、初日は大森神社への宮入、2日目には氏子地区が中心となって、熊取駅前をパレードします。大森神社の宮入には、毎年氏子地区より11台の地車が曳き出され、宵宮の午後1時から神社境内の舞台の周囲を3周回って宮入が行われます。
 本町域においていつから地車が曳き出されるようになったかは、明らかではありません。 しかし、中家文書の中にいくつかの地車に関する史料があり、今から160年余り前の1841年(天保12年)には、五門・小垣内・宮村・大久保・小谷・七山・和田・朝代の8ケ村が地車を所有していたことが知られています。この8台の地車の内、朝代・和田の地車は荷地車でした。また、だんじり祭りにおいて「子供俄」(こどもにわか)も一緒に演じられていたようです。
 現在、各地区の 所有する地車の大部分は明治から大正時代に製作されたもので、いずれも緻密な彫物をほどこした優秀な地車です。彫物には、難波戦記・太閤記・忠臣蔵・太平記・源平盛衰記などの名場面が多く刻まれています。

青い空と緑の木々で重厚な佇まいの大森神社入り口を写した写真

町内11地区の地車

黒い法被に白のズボン、白いうちわを持って朝代地車を引いている人達の写真

朝代地車

 朝代の現在所有の地車は大正11年、当時5,500円の大金(1,000円で木造の大きな家が建ったという時代)を用し、地元朝代出身で、名工絹井嘉七門下、「朝市」を名乗る朝代市松大工棟梁により、彫物責任者関東彫の一元林峯によって作られた地車で現岸和田市大工町の地車とは兄弟地車と言えます。 

同じハッピ姿に水色のタスキをかけて和田地車を引いている人達の写真

和田地車

 和田の地車は、大正15年9月和田が新調した地車で、当時2,550円で新調している。大工棟梁は「絹屋」事、絹井楠太郎・彫物責任者は玉井行陽・助(助)は、金山源兵衛等の作品です。
 昭和57年秋には60年ぶりの大修理が行われました。小型の地車であるが、土呂幕三方の彫物は、なかなかの良作です。

上下黒に赤のタスキをかけた人々が大久保地車を引いている写真

大久保地車

 大正7年の新調という岸和田市宮本町の先代地車です。
 大工棟梁は「大喜」こと小川喜兵衛、彫物責任者は上間庄平、補助は伊藤松吉等です。大正8年に宮本町から6,500円で購入しています。
 武将の持ち物は付け木でなく、大多数は一木彫りで頑丈に細工され、味わいのある彫りがなされています。

紺屋地車をゆっくり引いている参加者の人達の写真

紺屋地車

 大正10年に紺屋が新調した地車で、大工棟梁はこと高橋門下の森某、彫物責任者西本舟山等が刻んだ地車で、切妻型でなかなかの名地車です。
 特に土呂幕三方は、なかなかの秀作で西本舟山が明治甚五郎こと櫻井義國名匠を見本として見事に手掛けられています。

熊取駅東の案内板の下を通る五門地車を写した写真

五門地車

 紺屋の地車と同じく、大正10年の新調で、岸和田市筋海町の先々代車です。
 大工棟梁は紺屋と同じで兄弟地車と言われています。
 しかし、彫物責任者は、開正藤が一生一代の仕事と言われ、他の熊取の地車にはないあじわいがあります。

白い上下の衣装を着た野田地車を引く人たちの写真

野田地車

 野田地車は、屋根形細工よりも、和泉彫・浪花彫などの巨匠が各自の分担で、それぞれ得意とする彫物細工をして作られた地車です。
 岸和田堺町先代地車であり、明治20年に手斧始め、完成は22年5月という永い年月を費やした名作です。 

道路信号の下を通る七山地車をたくさんの人達が引いている写真

七山地車

 大正11年の新調といわれている岸和田市筋海町の先代地車です。大工棟梁「久吾」事久納久吉、脇棟梁は実弟の久納幸三郎、彫物責任者開正藤、助は西本舟山と正藤跡目息子開正ミン(王へんに民)(謙次)です。屋根細工は、名工久吾が苦心した大屋根桝合上部に(唐破風)という唯一の地車で、他に類を見ない形態です。

黄色のねじり鉢巻き姿の人達が小谷地車を引いている写真

小谷地車

 平成26年に新調された地車で、大工は植山工務店が制作。切妻屋根に三手先組物の端正な姿見は先代地車を世襲し、彫物は地元縁起の題材を多数取り入れ、枡合正面に「桓武天皇熊取野遊猟」、後面に小谷縁起「辻之井」などが、岸田恭司師により躍動感あふれる、見事な構図で彫られています。

一列でひもを交互でもち久保地車を引いている写真

久保地車

 昭和9年に久保地区が新調したもので、大工棟梁は植山宗一郎であり、彫師は数多くの人の手がかけられており、松田正幸をはじめ、石田範治、後藤更星、吉岡喜代志等の若手彫師が中心となって作られたものであり、特に、土呂幕は見事です。

えんじの法被を着た関係者の人達が小垣内地車を引いている写真

小垣内地車

 平成18年1月2日の町会総会で新調委員会が発足し、同年4月に井上工務店に制作を依頼したものです。彫り物については木下彫刻工芸が手掛け、4年の歳月をかけて平成22年4月に完成しました。今回新調した地車は、泉州にある地車の中でも二つとない欄干と命棒に希少価値の黒柿が使われていて遠目にも小垣内の地車だと一目でわかります。平成22年5月4日に入魂式、お披露目曳行、並びに記念式典が行われました。

信号を曲がったばかりの大宮地車を赤いねじり鉢巻き姿の関係者が引いている写真

大宮地車

 昭和8年、大宮が新調した地車で大工棟梁は(大宗)こと植山宗一郎、彫工は京彫の吉岡義峰です。
 大屋根は新調時より軒唐破風(二重破風)であり、繊細かつ豪華な彫物や地車の大きさなど昭和を代表する地車といわれています。
 平成21年有限会社植山工務店において大修復を行い新調時の面影を大切にした見事な地車です。