くまとり昭和写真館1(昭和10年頃)
~写真からみる熊取の歴史~
くまとり昭和写真館では、昭和11年(1936)刊行の『熊取郷土調査基本編』に掲載された写真を風景・工場・学校・民俗(踊り・祭り)・文化財の5つのテーマに分け掲載しています。写真からは当時の熊取の人たちの暮らしや風景を垣間見ることができ、歴史を知るうえで貴重な資料といえます。
なお、写真の原版はガラス板に感光乳剤を薄く塗ったガラス乾板と呼ばれるものです。
風景
雨山
雨山(標高312メートル)は昔から「雨乞いの山」として知られ、頂上には雨山神社が鎮座し、南北朝時代には北朝方と南朝方が争奪戦を広げた土丸・雨山城跡があった。写真は青池あたりから撮影されたと思われます。
ため池群
江戸時代、岸和田藩の古文書によると、熊取には約140近くのため池があったことがわかっています。写真は雨山から熊取の村々を撮影したものです。
たばこ畑
大正13年(1924)、熊取村において葉たばこの栽培が奨励され、熊取のおもな農産物のひとつとなり、昭和16年(1941)まで盛んに作付けされました。
写真は大原あたりから西方向を撮影したものです。
写真は雨山から熊取の村々を撮影したものです。
工場
綿布
中林綿布工場(五門)は、昭和3年頃に建設された煉瓦造の綿布工場で、当時最先端の自動織機を導入し、泉州地域でも大規模工場のひとつでした。現在は熊取交流センター煉瓦館として、生涯学習などの拠点施設として活用されています。
中林綿布工場の検査場と荷造場
広幅自動織機
酒造
「一等國」のお酒で知られた小垣内にあった造り酒屋「義本酒造」の写真です。
学校
熊取尋常高等小学校(現中央小学校)は、明治41年(1908)に村内4校が合併し創立、同44年(1911)、野田に新校舎が完成、移転しました。
写真奥にある建物が熊取尋常高等小学校です。
講堂
掃除風景
民俗(踊り・祭り)
盆踊り
熊取の盆踊りは、8月14日から16日に行われています。昭和初期、阪和電気鉄道(現JR 阪和線)の案内沿線のパンフレットをみると、沿線行事として「盆踊り」の記述があり、熊取の名も見てとれます。
雨山踊り
泉州地域で広範な分布を示す「太鼓踊り」の一種で、雨山神社に雨乞い祈願として奉納された踊りです(現在は廃絶)。写真からは、雨山踊りのいでたちや踊る様子がわかります。
灯籠祭り(とうろうまつり)
かつて大森神社の夏祭りにおいて、各地区から一基ずつ大型の灯籠が担ぎだされていました。灯籠は、六角形や八角形で、木で作られ、枠組みのまわりに和紙(五穀豊穣・家内安全の文字)をはり、その外側に荒縄を巻いていました(現在は廃絶)。
だんじり祭り
古文書によると、天保12年(1841)に、五門・小垣内・宮(現在 大宮)・七山・和田・大久保・小谷・朝代の8ヵ村でだんじりを所有していたことがわかっています。写真は、大森神社への宮入りや、夜にだんじりを曳行している様子が写っています。だんじりに参加する人の服装が今とは違うことが見てとれます。
文化財
石造地蔵菩薩立像(町指定文化財)
五月ヶ丘にある建武4年(1337)につくられた本町で一番古い和泉砂岩製の石仏です。現在は、新しくお堂が建て替えられています。
雨山城碑(町指定文化財 附)
南北朝時代の武将橋本正高の業績をたたえた碑です。岸和田藩主の命により、儒学者相馬肇(そうま はじめ)が碑文を作成し、嘉永5年(1852)に建てられました。もとは粉河街道と成合街道の分岐点にありましたが、現在は府道泉佐野打田線大阪体育大学口バス停近くに立っています。
まれくす堂
和田にあり、稀(まれ)なる樟(くすのき)一幹でお堂を建てたことから、この名がついたといわれています。堂内には享保5年(1720)の地蔵が安置されています。現在は、新しくお堂が建て替えられています。
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