朝代

朝代やりまわし

制作 大正十一年新調
大工 朝代市松
彫刻師 一元林峯・吉岡義峰・森晴秋

円相に昇龍降龍の纏頭。法被は黒地に白抜きで社紋の「蔓柏」に「朝代」。
朝代市松(生年不詳~昭和十八年歿)は地元朝代出身の大工で、名門大工棟梁家「絹屋」事、絹井嘉七に師事。枡合を広く取った均整の取れた姿見は後に「朝市型」と呼ばれた。
「朝市の置土産」と云われる当地車は、千円で大きな木造家屋が建った時代に五千五百円の大金で製作。
一方、彫刻を手掛けた一元林峰は横浜出身の宮彫師。大正五年頃、「明治甚五郎」と謳われた櫻井義國が腕を見込んで呼び寄せたと言われている。左右大脇竹の節にある「昇龍」「降龍」の彫刻はこの地車の看板彫刻。
昭和五十六年、絹屋・朝市の流れを汲む吉野為雄棟梁による大修理、平成十年には植山良雄棟梁による二度目の大修理が行われた。