和田

和田やりまわし

制作 大正十五年新調
大工 絹井楠次郎
彫刻師 玉井行陽・金山源兵衛

だらだら坂に石垣土塀、むくり屋根、重厚な造りの家々。和田独特の古くからの習わしが今なお残る。
大工絹井楠次郎は岸和田本町の大工棟梁家「絹屋」の絹井嘉七の跡目息子。楠次郎は後に「絹屋式地車」と呼ばれる型を生み出し、現在の地車大工棟梁に受け継がれている。
彫刻師、玉井行陽は左目が見えない隻眼で、仕上げ等の細かい作業は不得手であったが、荒彫(作品の良し悪し決定付ける作業。師匠格にあるものが行う)において右に出るもの無しと云われた。
土呂幕三方の賤ヶ岳合戦(正面…加藤清正、右面…中川清秀、左面…福島正則)は目を見張るものがある。
昭和五十七年、大常工務店(古谷国夫棟梁)の手による大修理。この際切妻型から軒唐破風(いわゆる二重破風)に変更されている。
平成二十九年、大下工務店にて大修理を行い、土台、大屋根、小屋根、枡組、松良、後松良、木鼻、虹梁、旗台、見送り内の一部を新調した。