紺屋

紺屋やりまわし

制作 大正十年新調
大工 大若門下森 某
彫刻師 開正藤・西本舟山

重文中家住宅の丁字路から外環状線へ抜ける道より左手の狭い路地へ。趣のある家々が立ち並ぶ。芳元寺の向かいに地車庫がある。
黒の法被、紺屋の角崩文字に違い矢。シンプルな意匠に赤の紺屋の文字が映える。
現地車は大正十年、当区の新調。大工棟梁は岸和田筋海町住・高橋若左衛門弟子・森(名前については不明)。彫刻には堺の西本舟山・淡路生穂の開正藤の名工が手掛けた。
特に土呂幕の三方(賤ヶ岳合戦より、正面…大岩砦中川瀬兵衛清秀の最期、右面…福島正則拝郷五左衛門討取り、左面…清正山路将監討取り)は、いずれも西本舟山による作。人物の表情が豊かで細やか。躍動感もありかなりの秀作。
昭和五十八年、大常こと古谷国夫棟梁の手により大修理が行われた。