五門

五門やりまわし

制作 令和二年
大工 板谷始
彫刻師 木下健司

平安末期に後白河法皇が当地中家に立ち寄った際、車寄せの御門を建てた事から「御門村」と称され、江戸期に「五門」と改称された。
纏頭の三方正面には金・銀の箔押しに細密な錺が施されている。
令和二年五月二十六日新調完成、三年十月十日入魂式のこの地車は、当区在住の板谷始が棟梁を務め、地車本来の【型】を重視しつつ、日本各地の社寺建築の細工を参考に、地車に上手く取り入れている。
彫刻は播州黒田彫刻の流れを汲む木下彫刻工芸。彫刻頭領の木下健司が土呂幕三方を担当し、黒田彫刻の名匠である開正藤・木下舜次郎・木下賢治の傑作に挑む作となっている。人馬は勿論、木々や土辺などの風景を徹底的に彫りあげ、非常に手間の掛かった見事な作品に仕上がった。
また前述の五門の地名の由来の彫刻「五門中家縁起 後白河帝 中家を行宮とす」として後屋根車板に配した。