久保

久保やりまわし

制作 昭和九年新調
大工 植山宗一郎
彫刻師 松田正幸・石田範治・後藤更星・吉岡喜代志

黒地法被で「抱き稲」に「久」。この意匠については定かではないが、五穀豊穣を願う意味か、あるいはかつての大森神社の大祭「穂輪祭」を由来としたものか。
地車は昭和九年、岸和田上町・植山宗一郎棟梁、彫刻は後に昭和期を代表する若手彫刻師。「黒田の龍虎」として木下舜次郎と並び称された松田(萬屋)正幸、「江州醒ヶ井」の石田範治、名匠玉井行陽・川島暁星の助として腕を振るった後藤更星、「京彫」吉岡義峰の跡目息子である吉岡喜代志らである。土呂幕三方は特に見事であり、推測の域は出ないが吉岡義峰の手によるものと思われる。
大工・植山宗一郎の作事による地車は新調当時は切妻型であったが、後に大下孝治棟梁による大修理の際、現在の入母屋型となった。